色は単体では存在していない。
関係の中でしか意味を持たない。
コンセプターでいらっしゃる
坂井直樹さんのエッセイより
【日記的エッセイ_381】
「青が好き」と言った瞬間に、世界は雑になる
「好きな色は何ですか?」
この問いは、どこか無邪気で、どこか乱暴だ。
たいていの人はこう答える。
「青が好きです」「赤が好きです」
まるで子どもの頃に見ていた戦隊ものみたいに、きれいに色分けされた世界。
だが、その瞬間に、色の話はほとんど終わってしまっている。
ヨーガン・レール はこう言った。
地球上のすべての色は美しい。
美しさは、配色で決まる。
この一言で、ほとんどすべてが説明されている。
たとえば、「青」と一言で言う。
だが、その中には何万、何十万という青がある。
さらに言えば、その青は隣に何を置くかで、まったく別の顔になる。
沈黙のように静かな青もあれば、
不安を煽る青もある。
高級にもなるし、安っぽくもなる。
色は単体では存在していない。
関係の中でしか意味を持たない。

それなのに人は、「青が好き」と言ってしまう。
まるで音楽の話をしているのに、「ドが好き」と言うようなものだ。
雑、というより、思考停止に近い。
Pantone には数千の色が定義されている。
人間の目は、そのさらに何百倍もの色を識別できると言われている。
それだけの世界を持っていながら、
私たちはそれを「赤・青・黄色」に畳んでしまう。
これは、色の問題ではない。
世界の見方の問題だ。
単純化は、理解を助ける。
だが、行き過ぎると、現実を削り取る。
たぶん、問うべきはこうだ。
「何色が好きですか?」ではなく、
「どんな組み合わせに、美しさを感じますか?」
この問いに変わった瞬間、答えは少しだけ難しくなる。
そして、少しだけ面白くなる。
色は、選ぶものではない。
編むものだ。
たぶん人生も、それに似ている。
Jurgen Lehl Yellow Label, Indian Handiwork | Jurgen Lehl etc (en)
・・・
色は単体では存在していない。
関係の中でしか意味を持たない。
これは、「人」も同じだと思います。
「人は単体では存在していない。
関係の中でしか意味を持たない。」
と言い換えられるのではないでしょうか?
iriséの目指すところも
私たち一人ひとりの色が開花し
世界がカラフルに調和することです。
けれども
単体ではその色は、
存在できず
やはり関係の中でこそ
私たちの能力は意味を持つのだと考えます。
そして
単純化は、理解を助ける。
だが、行き過ぎると、現実を削り取る。
と坂井さんのおっしゃられることに共感します。
何事も単純に捉えることで
「理解」ができたように感じますが、
心で感じるものは
その理解を超えていると思うのですね。
自らも単純化させていけばいくほど
「生」の意味を見失っていくように感じます。
自らが最愛の居場所になる
irisé 明日香
