年齢を重ねてから、自分の中に感じる違和感や専門的なカウンセリングを受け、現在の自分が抱える虚しさ、寂しさ、不安感が「親との繋がり」に起因していると自覚する方は少なくなりません。特に、幼い頃に充分に親に甘えられなかった過去を思い出し、「大人になったいまさら、どう親と向き合えばよいかわからない」というご相談はよくお受けします。

私はそんなとき、ちょっと唐突に思われるかもしれませんが、「もし、ご両親が健在であるなら、幼い頃にして欲しかったことを、今からでもしてもらうんだよ」とお伝えしています。

けれども、自分がすっかりいい大人になり、体格も力も現在の親よりもしっかりとしてくると、「どのように甘えたらいいか」と戸惑ってしまうものです。特に「抱っこして欲しかった」と感じているある方は、常に忙しく働き続けていたお母様に気をつかって言えなかったその言葉が、「今となっては物理的に難しい」と、壁に当たったように感じていらっしゃいました。

「抱っこ」とは、自分を丸ごと受け止めてくれる「安心感そのもの」です。
子どもにとって、温かな母の体温を肌と肌で感じ合うことは、脳内から「オキシトシン(愛情ホルモン)」を分泌させ、「自分は守られている」という強い安心感を覚えることにつながります。

さらに、この安心感が「自分は大切で、愛される存在」という自己肯定感を育みます。これは同時に、外の世界や他者を信頼し、自分を信頼する「心の基盤」となるのです。特に、自分が要求を訴えたときに認められるという母親とのやり取りを通じて、子どもは「自分には何かを求める権利があり、自分の思いは大切にされる」と感じられるようになります。これが、その後の人生において、自分の考えや選択、生き方に自信を持たせる土台となります。

逆に、「抱っこ」の回数が少なかったり、親から拒まれたりした経験があると、「自分は大切な存在なのだろうか?」と、愛される理由を常に探すようになってしまうことがあります。そして、自分の気持ちが素直に言えなかったり、「生きるために自分ですべてをしなければいけない」と抱え込み、過度に我慢強く、愛されるために頑張るという傾向も強くなるのです。

ですが、これも一つの経験です。私たちは「愛」をより深く学ぶために、あえてその逆の体験(愛の不足)を選び、それを通じて、「どれほど愛が偉大なものか」を体験とようとすることもあるわけです。

さて、大人になって今更親に「「抱っこしてほしい」なんて言えない、というお悩みはどうすれば良いのでしょうか。
実は私自身、長男を出産したあと、赤ちゃんばかりを抱っこしているうちに、「私も甘えたい!」と思い、36歳の時、母の膝に乗って抱っこしてもらったことがあります。ですから、やろうと思えばいつでもできるのです。その時、母も一瞬戸惑っていましたが、すぐにそのまま抱き返してくれました。それは束の間の、本当に幸せな時間でした。

それから4年後、母は突然亡くなりました。あの時「大人だから」と恥ずかしがらずに甘えておいて、本当によかったと思っています。私は母が大好きでしたし、母の抱っこが大好きでした。だからこそ、母が亡くなった日に「こうすればよかった」と後悔することがとても少なく、心から感謝と愛で送ることができたのです。

けれども、もともと不器用でスキンシップが少ないお母さんであれば、いきなり大人になった娘が膝の上に乗ったら驚き、戸惑うでしょう。中には、照れ隠しやどう対応していいかわからない焦りから、「なんなのよ、いい大人が気持ち悪い・・・」といった言葉を口にしてしまうお母さんもいるかもしれません。そうなると、勇気を出した分、余計に傷ついてしまいますよね。

ですから、大切なことは、抱っこという行為そのものよりも、「抱っこを通じて、自分はお母さんから何を感じ、何を確認したかったのか」に気づくことです。抱っこは言葉を超えた母親からの愛を肌で感じる素晴らしい方法ですが、それがすべてではありません。

まずは、自分が「もっと抱っこして欲しかった」という寂しさを抱えていたことを、大人の自分が充分に認め、受け止めてあげてください。そのとき、あなたの心にはどんな感情が湧いてくるでしょうか。

「『愛されている』という実感がもっと欲しかった」
「もっともっとお母さんと一緒に居たかった、お母さんを独占したかった」
「もっと自分を見て欲しかった」
あるいは、「ただ話を聞いてほしかった」という思いかもしれません。

そのすべてを認めてあげて良いのです。表現の形は違っても、母親から愛を確認したい」という根源的な願いは同じだからです。ここで「本当に欲しかったもの」の正体が分かれば、物理的な行為(抱っこ)を伴わなくても、自分の心を満たしていくことができます。

実は、私たちが幼少期に切望したものは、大人になってからも、日々のあらゆる選択(仕事や人間関係など)に深く影響を与えています。例えば、一見すると経済的な理由で選んでいるような仕事であっても、本質的には「その場で自分が生きている実感」をより強く得られる場所を無意識に選んでいることが多いのです。

もし、現在の環境がとても生きづらいものであったとしても、そこで「生きている実感(強烈な刺激)」を伴っていれば、私たちの脳は、その歪んだ実感すらも「愛(関心)」だと誤解してしまうことがあります。

そのため、一見ブラック企業と呼ばれる職場で自分を否定されながら苦しんで働き続けてしまう方や、過酷な人間関係からどうしても抜け出せずにいる方も、実際には、「自分の存在」を強烈に経験するために、その環境を選んでしまっているケースがあるのです。生きる実感とは、よくも悪くも「自分の存在がそこに確かにある」と強烈に経験できる状態のことだからです。

本来、純粋な愛の土台(自己肯定感)があれば、、自分を否定される場所ではなく、自分の存在がそのまま認められる健康的な状況を選ぶようになります。けれども、幼い頃に「無条件に愛されていた」という確信を持てないと、私たちはあえて不安や否定を感じる歪んだ環境に身を置くことで、逆説的に自分の存在(愛)を実感しようとする、という複雑な心理が働いてしまうのです。

では、「両親からは充分に愛情を受けて育ったはずなのに、どうしてそんな歪んだ環境や関係性を繰り返すしてしまうのか?」という疑問を持つ方もいるかもしれません。
これがいわゆる「過去世の影響」として現れていると解釈することがあります。過去世の因果(カルマ)の巡りによって、現在の体験が引き起こされているという視点です。

ただ、それも「悪いことをしたから罰を受ける」という単純なものではありません。すべては、自分の本当の姿・魂の目的に気づくための「最善の体験」として準備されているからです。ですから、「罰」という狭い見方ではなく、大切なことに気づくためのアプローチのバリエーションに過ぎないということです。

これにより、「自分が今世で何に気づこうとしているのか」を知ることが大切になります。母子の関係において「充分に愛情を感じられずに育った」という経験すらも、自分にとって最も大切なことに気づくための「強烈な学びのプロセス」として、自ら選択してきたと言えます。

充分な愛を受けられなかったからといって、「自分は愛されない人間だ」ということでは決してありません。愛の深さ、愛の多様性、そして愛の別の側面を深く学ぼうとして、あえてその逆の困難な経験を選び、私たちは「今」の自分の人生を生きています。

ですから、年齢がいくつになっても、生きる上で基本となる「母親からの愛の実感」は、それが自分にとってどれほど大切なものだったかに気づいたその瞬間こそが、最も深い学びを得られる最高のタイミングになります。

そして、ぜひとも「今」の自分が感じること、思うこと、望むことをありのままに認めてあげてください。それがたとえ、今更手に入らないと思える「抱っこ」だったとしても、その奥で本当に実感したかった愛の渇望に、今のあなたが素直になってみてください。

そうすることで、母親との間にあった長年のわだかまりが自然と溶け、心の奥で止まっていた感情が溢れ出し、もっと深く自分自身の人生を実感できるようになります。

過去の小さなあなたを救い上げることができるのは、世界中で「今のあなた」だけです。

自分の気持ちを「大したことではない」などと言わないでくださいね。
「今」のあなたの心の中で引っ掛かっている、その小さな思いや感情こそが、これからのあなたの人生を照らす光になるのですから。