日常の家庭内での家族とのやり取りの中で、普段から感じていた「現代社会における女性の生きづらさ」について、少し深く考えていました。今日は、なぜ現代の女性がこれほどまでに家庭の中で孤独を抱え、疲弊してしまうのか、その原因とこれからの未来に向けた子育てについてお話ししたいと思います。

父と子の切ないすれ違いが、日常茶飯事になっていませんか?

我が家では学校に行く日は、朝からゲームができるというルールを決めています。

これは、子どもたちの行き渋り状態に悩んでいた時、学校に行く目的を作ってあげたかったことがきっかけでした。朝学校に行くと思うと不安になったり憂鬱になる子どもたちの姿を見て、「朝一番に楽しいことをする」という工夫をしてみたのです。そうすれば、心のモヤモヤが立ち上がる前に、「ゲーム」という楽しいことでスイッチが入り、気づけば脳もワクワクで始まります。結果として、学校に行くことが苦痛ではなくなっていきました。

子どもたちは「早起きすればするほど、長くゲームができる」とすぐに悟り、初めは早朝五時半に起きるようになりました。

長男は小学5年生で、次男は小学2年生です。お兄ちゃんの方は早起きが得意ですが、弟は苦手。ですから、そんなルールを作っても起きられる日もあれば、起きられない日もありました。それでも、「お兄ちゃんには負けたくない!」という思いから、弟も早起きを頑張るようになります。「僕だってできる!」とお兄ちゃんと共に目覚ましの音で飛び起きるようになりました。

これに慣れてくると、今度は「五時に起きたい」とお兄ちゃんが言い始めました。流石に学校で眠くならないかと心配しましたが、本人が言うのならと起こすことに。弟はただでさえ朝は弱いのですが、「お兄ちゃんと一緒にゲームをしたい」一心で、「僕も起こして!」と言いました。

その約束を決行した、ある朝のことです。
本当に二人は目覚まし時計の音と共に、スッと起きてリビングに向かいました。そこには、いつも仕事が早い夫が先に起きていました。

ところが、お兄ちゃんには「おはよう」と言ったものの、頑張って一緒に起きてきた下の子を見るなり、
「君も起きたの? まだ寝ていなさい」
とだけ言ったのです。

きっと夫も、下の子の寝不足を心配しての言葉だったのでしょう。ただ、弟の方は、大の苦手な早起きを頑張ったことを「お父さんに褒めてもらえる!」と起きてきたのです。それなのに、まさかの言葉をかけられ、傷ついてしまいました。そして、自分の思いを隠して、少しイライラした態度をとったのです。

すると夫は、自分の言葉が子どもの心を傷つけた原因だとは気づかないまま、「なんだその態度は!」
と焦りから感情的に怒鳴ってしまったのです。

弟はただ、お父さんに「自分もできるよ」という姿を認められ、褒められたかっただけでした。そして、夫は弟を心配して、そのように言ったのです。

それなのに、お互いの気持ちは噛み合わず、部屋には険悪な空気が流れてしまいました。

このように家族の間で、お互いの想いがすれ違うことは、多くの家庭で日常茶飯事になっているのではないでしょうか。

「父親の威厳」という男性たちの定まらないモデル

なぜ夫は、子どもの心が傷ついた原因が自分の言葉にあると気づけないのでしょうか。

夫としては、自分が話しかけるとなぜ母親の時のように、子どもたちは素直にならないのかと戸惑っていました。そして、どう子どもと接すれば良いのかわからなくなり、気まずくなってそのまま部屋を出ていってしまったのです。

残された子どもは、お父さんを怒らせてしまったことに小さな罪悪感を覚え、自分を責めていました。ただお父さんに「自分もできるよ」と認めてほしかっただけなのに。本当に切ないすれ違いです。

夫は夫で普段から、私が子どもたちに言っていることを横目で聞きながら、「自分も父親らしいことをしなければ」と思っているようです。そして、「威厳を出さなければ」と無理をして、それがかえって空回りをしてしまっています。

男性親にとって「威厳」とは、大抵、頭ごなしに従わせる、ちょっと軍隊のようなイメージになりがちです。普段のままでいいのに、優しさを隠して、厳しさを見せることが「男の理想」と思っているのか、失敗をしてしまうのです。きっと、自分自身がそのように育てられてきたからなのでしょう。

現代の社会は、女性が女性というものに迷走しているように、男性も「男性であること」の何かにかなり迷妄しており、その答えが出せていないと感じます。

母親が子どもの心を「察する」ことができる本当の理由

こうした夫の不器用さや鈍感さが原因で、子どもの心を傷つけ、父親を怖がってしまう場面に、私は何度も遭遇します。

どちらの言い分も思いもわかるからこそ、通じ合っていないそのズレがもどかしいのです。だから私は間に入って、「今のはないんじゃない?〇〇はこうしようとしてただけだよ」と説明を入れます。けれども、それも次第に夫の怒りを買うことになってしまうのです。

夫は子どもとの関係がうまくいっていないことに焦るものの、どうしたらいいのかわかりません。それでも、プライドが邪魔をして、素直に妻である私に「どうしたらいいか」を聞くことができないのです。挙げ句の果てに、「妻と自分と、どちらが上か」という敵対心を燃やし、私の粗探しを始めたりします。これが、競争社会が生んだ「男性的な社会の生き抜き方」なのではないでしょうか。

一方で、母親には子どもの気持ちが普通にわかります。よほど拗れた出来事でなければ、子どもの表情ひとつを見れば察しがつくものです。

ただ、それだって、一朝一夕で身についたものではありません。

「女性の方が男性よりも相手の心を読む術に優れている」というのは、確かにあります。ただ、一番の理由は、単なる愛情や優しさだけではなく、「子どもが拗れてしまったら、自分が一番大変になるから」ではないでしょうか。

だからこそ、早め早めに、噴火しそうな火山の火種を作らない。あっても小さいうちに早く解決する術を、私たちは日々の生活の中で育んできたのです。

私たち女性は、とにかく一日の中で、いくつもの細かな仕事をしています。これを「生活」と呼びますが、かなりの工夫をしなければ片付きません。

それに加えて、現代の女性は社会に出て仕事をこなし、さらに仕事と同じくらい神経を使って、家族の健康や好みや予算に合わせて、スーパーで食材を選び、また調理までする大仕事をこなしています。まさにダブルワーク、トリプルワークのような仕事量を毎日こなさなければならないのが、現代の女性です。

その上で、子どもという、繊細で、時に怪獣に変身する生き物の世話をしています。話に耳を傾け、彼らの心と体に注意し、そして学校や子どもの周囲のことまで面倒を見て対応をしています。

まるで「秘書」であり「料理人」であり「掃除屋」であり「看護師」で「カウンセラー」。これらがすべて合体した存在を「母親」と呼ぶのです。

だからこそ、いつの間にか「なぜ今、子どもは怒っているのか?」「なぜイラついているのか?」という情報処理能力が、頭だけでなく、肌感覚でわかるようになったのですよね。

なぜなら、子どもが拗れてしまったら、それは自分の足首を掴まれるのと同じだからです。その日のタスクがすべてこなせなくなってしまいます。すべての効率と秩序のために、私たちは子どもの心を理解せざるを得なくなっただけなのです。

妻が求めているのは「張り合い」ではなく「調和」

夫は厳しい態度で子どもを従わせる方法を選びがちです。子どもはその場では怖がって黙るからです。けれども、私は萎縮した子どもを察して、それが後々拗れることを知っています。だからこそ機転を効かせて、先ほどのように夫に説明をするのです。

子どもは、母親である私の言うことは、たとえ渋々の時があっても、ほとんどは素直に聞いてくれます。そうなると、父親である夫は面白くないようで、妻のアドバイスを「自分が下に見られた」と、また勘違いをしてしまうのです。

まるで、妻に家庭を仕切られ、子どもと接する機会を奪われているかのように感じてしまうのでしょうか。「自分は役に立たない男だ」と思って拗ねるか、あるいは、自分の威厳を証明しようと張り合おうとしてきます。

けれども、私は夫と張り合いたいわけでは全くありません。ただ、子どもの気持ちを守りたいだけであり、そして何よりも、大切な育児を一緒に「助け合いたい」だけなのです。

それなのに、夫が無理に関わろうとすると家庭の調和が乱れます。ただでさえ毎日のタスクに悩殺されている状態で、現場を荒らされれば「もう手を出さないで!」と言いたくなりますよね。

夫には、その「威厳」ではなく、ただ「もっと子どもの話を聴いてあげてほしい」と願っています。それでも、男性が子どもの話を聞く場合、そこに分かりやすい展開(明確なオチや目的)がないと、「何も考えていないと同じ」と錯覚してしまうのです。

そのため、いつの間にか話を聴くことが「問い詰め」に変わり、最後は「尋問」のようになってしまいます。これでは、子どもたちは自分の心を隠してしまいます。

そうして、子どもとすれ違ってしいくため、次第に関係を諦めてしまうようになるのです。

子育てを通して、女性が家庭の中で孤独になる瞬間

夫の子育てがうまくいかなくなると、すべて家のことに投げやりになりがちです。そして、「どうせ、俺がやってもね」と、どこかでイライラしている父親を察して、子どもたちは益々父親に距離を置いてしまうのです。

見かねて「その態度、子どもには怖いよ」と伝えれば、今度は「お前だって子どもたちに怒るじゃないか!」と、言葉を返してきます。

夫からそう責められると、深いため息が出ますよね。

私が子どもを叱るときは、子どもと真剣に向き合った上でのことです。それでも、子どもたちが約束を守らなかった時に、ガッツリと叱るだけ。本当は、その鬼役を夫に委ねたいほどですが、どこでどう叱ればいいのか、今の父親はわからないのです。

ただ、母親にそこまで怒られても、子どもの母親への信頼は大きいため、そこでも夫に嫉妬をされてしまうのです。

こうして女性は子育てを通して、家庭の中でも孤独になる傾向にあります。子どもの成長の過程で、毎日自分を捧げ、なんとか健やかに育つように尽くしているだけなのに、夫から認められるどころか、責められてしまうのですから。

女性たちの「諦め」

女性たちの本音は、夫に育児を任せられたら、どんなに楽かというものではないでしょうか。けれども、夫は子供にとって何が大切なのかを不思議なくらい理解できていません。

甘いお菓子やゲームを簡単に与え、私から見れば単に子どもの気を引く最も安直なやり方に思えてしまう。これでは頼りにならないどころか、こちらの努力で子どもたちに規律を教えても、簡単に崩してしまうことになります。

それは父と子の繋がりを築くようなアウトドアのようなものでも、実際はコンビニでご飯を買って、スマホでゲームをして返ってくるというオチになることも多いのです。

これでは世の女性たちが、「夫から子どもを離したくなる」のも無理はありません。なぜなら、この「感性のズレ」と、夫が子どもに見せる、行動の裏にある「目的」の不明瞭さが、女性にとっては「不安」に変わってしまうからなのです。

最近は離婚を選ぶご夫婦も多いですが、その理由は決して単純な「好き・嫌い」だけではないと感じます。

女性の持つ細やかな「感性」に対して、男性の「鈍性(察せなさ)」があまりにも大きく、すれ違いが埋まらないこと。そして、「この人には何を言っても伝わらない」と、女性側が男性を「諦めてしまう」ことこそが、本当の理由なのではないでしょうか。

ただ、それでも、夫は子どもの父親です。
子どもたちは心の底で「父親に認められたい」と願っています。特に男の子にとって、父親との関係は自分自身の男性的な側面のアイデンティティに繋がっており、父親との関係が自尊心に深く影響しているのです。

大人の男性に、今から「感受性を鍛えよ」と伝えることは、なかなか難しいことです。本人がそれに興味を持てば良いでしょうが、これを「女々しさ」だと感じる男性ほど、自分が弱くなると恐れてしまうのです。

けれども、これからの時代は、「感性」の豊かさは性別に関わらず大切なものとなっていきます。男性が古い世界の「強い男性像」のままでいれば、ますます女性は男性を諦める世界になっていくでしょう。

これからの時代、男の子をどう育てるか

未来に目を向けた時、これからの時代を担う男の子をどう育てるか。

男の子が本来持っている「感受性の豊かさ」を、社会の枠にはめ込む前に、活かし育むことがとても大切になっていくと私は感じています。

小さな頃は、男の子も女の子も、確かに自分の「心の声」に素直に生きていました。男の子だって、本来はとても豊かな感受性を持っていたはずなのです。

実際、女性が女性性を封じ込めた生きづらさを覚えると同じように、男性は「自分自身の中の男性性をどう表現していけば良いか」に躓いているものです。

これは、これまでの「男」と「女」という限定的な解釈を超え、より本質的で純粋な「性」のあり方について、私たちが向き合っていくことが大切だと思っています。

 

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