生きていれば、必ずしもいつも周りに気の合う人や好きな人ばかりが集まるわけではありません。むしろ、その逆の方が多いかもしれないのが現実です。
今、巷では苦手な人との付き合いに対して「自分に合わない人からは離れなさい」「無理をして付き合う必要はない」と言った発言をよく耳にするようになりました。
けれども、これは現実的でしょうか?
独り身であればできるかもしれません。ただ、結婚をして家庭を持てば、その人間関係は個人的なものよりも、ずっと家族の周りの人たちとのお付き合いが中心になり、女性の交友関係は激変するものです。
夫の親やきょうだい、友人、仕事関係者。子どもたちの学校関係者や友だち、ママ友となる人たちまで。さらに義両親との距離が近くなれば、望まずともその膨大な人間関係と関わりを持つことになります。妻として、母として、嫁として、簡単に一線を引くことはできません。
自分の意志では簡単には離れられないからこそ、女性は八方塞がりになり、家族の円満のために我慢をしなければならなくなってしまうのです。

私が体験した、夫の両親との同居生活

私自身、かつて夫の両親と同居し、周囲との深い地域的なつながりに縛られる中で、「嫁はこうあるべき」という期待と重圧感で、強い閉塞感を覚えて過ごしていました。
何を言われても波枷を立てないように、四六時中相手に合わせて我慢し続けましたが、10年たっても状況は何一つ変わらず、私のストレスは限界に達していました。
「わかってほしいのに、理解されない」という苦しみ。
伝えようとすると攻撃になり、それを避けるからまた耐え続ける時間が過ぎていました。やがて「もう限界」と離婚を考えるまでになって、感情も期待も全て燃え尽きていました。
けれども、人はそんな極限の状態まで行き着くと、それまで一生懸命に取り繕ってきた仮面も剥がれてしまい、状況をどうにかしようとする気力さえなくなってしまうのですね。
そんな中で、私はとても不思議な体験をしたのです。
その頃は、眠りも浅く夜中になると目が覚め、一人で「さぁこれからどうしようか」と考えていました。子どもたちのこと、住む場所、仕事のことを考えながらも、何も答えが出てこないのです。
そんな時間が数ヶ月続いたある日のことでした。
また夜中に目が覚めたとき、その日は胸の辺りがズッシリと重くなっているのを感じました。その感覚があまりにも痛くて、重たくて私は体を起こして手で胸を押さえました。
「痛いな。悲しいな」
強い気持ちが湧いてきて、だけど、普段のようにこの感覚に抵抗する気持ちにはなりません。私は、ただその痛みを感じました。すると、ふとこれはこれまで私が私を無視してきた思いなんだと気づいたのです。
「悲しい、すごく悲しい」ただただそのような気持ちが湧いていました。
翌朝、犬たちと散歩をしながら空を見上げていたとき、私はそこで走馬灯のように過去の経験が蘇ってくるのを感じていました。それは「私が、私の気持ちをずっと無視し続けてきた場面」が次々に浮かび上がってくる映像でした。
その時、私はハッと気づいたのです。
これまで私が不満に思い、怒り、苦しんできた「理解されない痛み」は、夫や義母といった外側の誰かに向けられたものではなく、私が私に伝えたかった「私の気持ちをもう少しわかって」という心から湧く自分に向けられた思いだったのだと。

「相手は自分の鏡」の本当の意味とは?

この気づきを得た瞬間、私の意識は外側から内側へと向けられました。
そして、「相手は自分の鏡」という言葉の本当の意味が腑に落ちたのです。
多くの本では「相手は自分」として、それを受け入れ、愛しましょう、と教えています。けれども、そのやり方は抵抗が大きすぎて逆効果でした。受け入れようとすればするほど、余計に嫌悪感が募るようになってしまうからです。
じゃぁ、「相手は自分の鏡」とは、一体どういう意味なのでしょうか?
実は、ただ「受け入れること」ではなく「選択する」ことだったのです。
相手が見せてくる不快な側面は、自分の中にある古く歪んだ思考の反映に過ぎません。大切なことは、その思考にフォーカスして愛するのではなく、極端にいえば「無視すること(反応しない)」です。
私たちは、好む好まざるに関係なく「関心を向ける」ものを実体化するという働きを持っています。
ですから、「関心を向けない」こと。自分を映し出す鏡に、自分が望むものだけを意図的に写し出す必要があるということでした。

どんな環境でもマインドを保つ「視点の切り替え」

どんなに理不尽に思える現実や環境、人間関係の中にいても、客観的な視点を持つことで自らが主体的となって、状況を変えることができるようになります。
そこで私が気づいた、自らのモチベーションを保つための黄金比があります。
それは、「誰が何を言ってきたか、してきたか(外側の出来事)」よりも、「それによって自分はどう感じ、どう乗り越えようとしているか(内側のプロセス)」に100%の意識を向けることです。
不満をただの愚痴として終わらせないためには、「問題を解決すること」を目的にしないほうがいいのです。相手を変えようとしたり、環境を変えようとしても、それは一時的で小さな変化しか起こせません。
大切なことは、「解決しなくていい」ということ。
そして、するべきは「視点の切り替え」だったのです。
「あの人が私を苦しめている」という被害者の視点から、「私は今、自分のどんな気持ちを無視してしまっているだろう?」というセルフカウンセラーとしての視点へと切り替えるのです。
この小さな「気づき」こそが、あなたから人生の主導権を奪う泥沼を、自分を癒すための自信へと変えてくれます。

自らを癒す「セルフカウンセラー」に変わる3つの視点

あなた自身が、自分の人生を自分のものとして癒していけるように、この気づきから人生を好転させる具体的な提案をお伝えしますね。
1.外側に原因を探すのをやめる
「誰が良い人で、誰が悪い人」かという視点は、幻想で本物の答えを導き出せません。他人が見せてくるものは、あなたが無意識に「意識(フォーカス)」してしまっている過去の習慣的なものの反映ですから、意識を外側から内側に向けましょう。
2.相手より「自分の気持ち」を何よりも大切にする
相手の機嫌を損ねないかと目を泳がせ、円満に済ませるために、自分に嘘をついてしまう習慣的な生き方をやめましょう。
    • 「助けてほしい」「こうしてほしいな」という思いを素直にありのままに伝えましょう
      ※この時、「あなたがこうしてくれないから」「あなたのここが悪いから」と余計なことをつけると絶対に伝われません。子どものように正直になりましょう。
    • 自分にとって不快なことは、戦って相手を負かそうとするのではなく、「関心を向けず、無視します」
      聞こえないフリをしてOKです。(叶姉妹の叶恭子さんはこれを「あら、今風が吹いたかしら?」と思えばいいと言っていますね(笑))

3.わかり合うことがゴールではない
円満とは、お互いに深く分かりあうことが先なのではないのですね。
人生で本当に心から分かり合える人は、一人いれば十分です。
そして、その一人は自分自身なのです。
ですから、他人と深くわかり合おうとする必要はありません。「相手は相手の人生を生きている」それで充分です。それが尊重です。
この静かだけど、柔軟な境界線は、あなたを守るだけでなく、相手にとっても危害が及んでくる心配をさせないため、結果的に円満な関係になっていくのです。

蓮の花のような私になるために

長年、私たちは自分の思いを我慢し、周りを優先することが「正しい」と教えられて育ってきました。そのために、本当の意味で自分を大切にできないまま大人になりました。
その結果、自分の人生に起こる不満や怒りは外側に向けられ、状況や環境に原因があると考えるようになってしまったのです。けれども、このように私たちは、自分の人生の主導権を誰かに明け渡したことで、方向性を見失ってしまったのです。
それでも、人生はとても短いものです。残りあとどれくらい生きられるのでしょうか?きっと数えられるほどのものになってきていますよね。
だからこそ、今どんな人間関係か、状況や環境かに捉われることよりも、一番大切なことは、
「私が私の気持ちを理解できているか、大切にしているか」。
本当にそれだけが重要なのです。
泥の中で育っても、その身を一切汚すことなくその花を咲かせる蓮の花のように。私たち女性も、いつ何時も「ありのままの自分」として、凛として美しく生きることができるのです。
「自らが最愛の居場所」として、自信を持って生きましょう。
あなたの心からの勇気が湧いてくることを応援しています。